短編/まいごのボクら/竜燈の在る街/掌編/
一話完結短編と、短編連作。
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短編
比較的短めの話。
内容は色々。
星空の続き
過去作/現代/ファンタジー/微恋愛/ほのぼの
忘れ物をしたことに気付いて、私は慌てて教室に戻った。校門を出て、バスに乗ろうとしてはたと気が付いた。気が付いてよかったが、もっと早く確認をするべきだった。
放課後の教室には西日が射し込んでいた。もう誰も残っていないだろう。そう思っていたが、一人窓の外を見上げる人物が居た。私はドアを開けて、中へ入る。その人物がくるりと私に顔を向けた。平河だ。
平河は苦手だ。無口で何を考えているのかまったくわからない。それに平河はいつも私たちとは別の場所を見ているように思えて、何か怖い。
私は関わらないようにして、手早く自分の席に戻る。そして忘れていたものを鞄に忍ばせる。
すぐに外へ出ようとして、予想外のことが起きた。
「え?」
廊下にあと一歩、というところで腕を掴まれた。そんなことが出来るのはこの場では一人しかいない。
「ひ、平河?」
私を凝視する目が、とてもとても怖いと思った。
「な、な、なに? なによ!」
振り解こうにも怖くて、声だけは虚勢を張る。それも震えてしまってはいるけれど、私にはせいいっぱいの抵抗だった。
平河は視線を私から鞄に移した。指で示されるのは忘れ物の、絵本だ。
「……これがどうかしたの?」
友人に借りた何の変哲もない絵本なのだが、平河はそれが気になるらしい。私がこれを友人に借りたのは、ただ妹が読みたがったからだ。それ以外の理由はなく、妹を喜ばせてあげようとしているだけだ。何故平河はこれを気にするのだろう。
「読みたいの?」
首をかしげながら訊ねれば、平河は首を振る。ただ絵本を指差し、そして窺うように私の顔を見た。仕方なく私はその絵本を手近な机の上に置いた。平河はそっと絵本を開いた。
何故か平河がほんの少し微笑んだように見えた。
絵本はよくある冒険ものだった。昔々のある国で、何かをなくした王子様が冒険の果てにそれを見つけ出すお話だ。王子様がなくした物は心で、冒頭で人を傷つけても何とも思わず、誰かに嬉しいことを言われても表情を変えなかった王子様は、遠い異国のお姫様と居るうちに変わっていく。心が生まれ育っていく。そういうお話だったはずだ。
それが平河にどう関係するのだろうか。
「平河? 読みたいの?」
もう一度私は問う。
平河がそっと息を吸い込んだ。私は初めて、彼が口を開こうとしているところを見た。
そこは真っ暗だった。
しかし完全な闇ではなかった。夜だったのだ。星空のカーテンが夜空を舞っている。それはそれは美しい光景だった。
胸躍る心潤す光景。だけれども、隣に佇む人は無表情にそれを眺めている。私はそれが許せなくて、彼の頬をみょんと引っ張った。
ムッとしたような目が私に向けられ、ちょっと笑う。無表情だけど、無感情ではない。それが嬉しかった。
「ねえ、綺麗でしょう」
「ああ」
言葉少なに彼は返す。でも、それだけでよかった。
以前は会話もなかったのだ。だから、私の言葉に反応してくれるのが嬉しい。それが哀しくて、口惜しくて、怖かった。
「帰ってしまう前に、これを見せたかったの」
もうすぐ彼は自国へ帰ってしまう。それは彼がもう旅の目的を果たしてしまったからだ。少し、いやとっても残念だとは思う。彼のことをとても好きになっていた。けれど、此処にはもう居る理由がないのだ。
「何故、帰ることを知っているのだ」
「そんなの見てたらわかるよ。それに私とは一緒に居られないでしょう。貴方を待っている人たちがいるもの」
私は笑ってみせた。彼が帰ってくるのを心待ちにしている人が居る。それは紛れもない事実で、変えられないことだ。
「……君はそれでいいのか」
何を考えているのだろう。どうしてかムッとしているようにも見える。私はゆるりと首を振って、やはり笑顔を浮かべる。
「私はいいの。一緒に居られた時間があったから、いいの」
「……そう、なのか」
「そうよ。でも、そうね。出来るなら約束が欲しいわ」
「何を?」
じっと私の目を見てくる彼に、私は静かに囁いた。
星空だけがきっとその約束を覚えているだろう。そうであればいい。他はもう、何も望みはしなかった。
望みは、しなかった……はずなのに――。
「泣くな。困る」
私の目からは涙が溢れていた。ぽたぽたと落ちていく涙は視界を揺らし、平河の姿を濁らせる。
「な、なんで……」
「君が言ったのだろう」
それは星空だけが記憶しているはずの約束だった。平河が知っているはずがないのに、私も覚えているはずがないのに。でも、思い出した。
それは夢物語のような遠く遠くの昔話。約束をしたのはどれほど昔だったのだろうか。それほどに忘れてしまえる昔なのに、彼は覚えていた。
「もし次に会うことが出来たら、私と一緒に居て欲しい、と。そう君は言っただろう」
そう言って平河は私をやさしく抱きしめて、耳もとで囁いた。
「だから、君を好きだと言った。泣くな。頼むから、泣くな」
頭にポンと手を置いて、平河が笑った気配がした。
「君に泣かれると俺はとても困るんだ。どうしていいかわからなくなる。だから、頼む。泣き止んでくれ。そして、俺と一緒に居て欲しい」
「馬鹿。なによ、もう、馬鹿ね」
「馬鹿とはひどいな」
くすくすと私たちは笑う。ああ、もう怖くない。平河は彼だ。遠くやさしい記憶に抱かれて、私はそっと彼の頬を包み込む。
「約束を覚えていてくれて、ありがとう。私も貴方と一緒に居たいです」
夕暮れの教室にはいつの間にか、夜が静かに舞い込んでいた。
※過去のお題バトルにて制作。
魔女のご機嫌
過去作/ファンタジー/コメディ
「ちょっと聞いてちょうだい!」
あたしは荒くも激しい息を吐き出した。カウンターの上にドンとグラスを置く。
「はいはい。聞いてますよ」
軽い口調で返すのは魔女協会の営業事務であるナルだ。空になったグラスを見て、すぐに次の分を注ぎ足す。なみなみに注がれたグラスを呷ってあたしは吠える。
「サイダーで酔えるか!」
「あんた酔わすと面倒なんだもん。それより何さ、毎度あんたたちも飽きないよねえ」
「仕方ないじゃない」
思い出しても腹が立つ。事件は夕方に起きた。あたしはいつものように任務を終えて帰ってきた。お客さんは喜んでくれたし、気分は上々で、そして何よりいつもはすぐに売り切れてしまうケーキも買うことができた。確か桃の紅茶が残っていたはずだと思いながら、足取り軽く帰宅したのだ。
「それなのによ……あの馬鹿弟め」
帰宅したあたしを待ち受けていたのは荒らされた家だった。泥棒かと青ざめるあたしのすぐ後ろから、あろうことか弟――メンは姿を現したのだ。とてものんきな声付きで。
「なんていったと思うのあいつ! 『ソーちゃんは仕事熱心だねえ。ちょっと探し物させてもらったよ』って、とっちらかしたまま帰りやがったのよ」
今でも腸が煮えくり返りそうである。すぐに胸倉掴んで投げ飛ばしたが、それだけでは怒りはおさまらなかった。ただ、部屋を片付けろと言ってもこの様子では何故あたしが怒っているか理由すらわかっていないだろう。
「まあ、あの弟ならね」
ずぼらで自由人として有名な弟は、変人として街に名を馳せている。あたしにも実は把握できてないところは多い。とりあえず空を見るのが好きで、お酒は飲めない体質だというのはわかっている。その部分だけはあたしと同じだからだ。
幼いころはよく並んで空を見上げていた。その頃は単なるのんびりやさんくらいにしか思っていなかったのだ。ちなみに酒は両親に飲まされて二人そろって一杯で床に沈んだ。
だから魔女になるべく魔女寮に入って家を離れた数年間で、随分驚かされてしまった。
「ところで何を探しにきたの?」
「ああ、えっと本だったみたい。一応見つかったみたいだけど、家中荒らさなくてもいいと思わない?」
「それが弟くんでしょ。でも魔女の家って一般的には不思議なものがいっぱいあるからねー。もしかして気になって触って色んな反応起こさせちゃったんじゃないの? 危険なものは置いてなかった?」
ナルが首を傾げる。そう言われれば、確かに任務の薬を製造するためにビーカーや薬品を広げたままにしていた。もしかしてあたし自身のせいもあったんだろうか。
そう思うとメンに申し訳ないなと少しだけ思う。
「でも、普通はそれでもぐちゃぐちゃにはならないわね」
「そ、そうでしょ!」
うっかり帰ったら弟に謝ろうと思うところまで思考が進んでいた。
「あいつが謝るまで口聞いてあげないんだから」
我ながら子どもっぽいとは思うけれど、こうでもしなければメンはわかってくれないのだ。何だか無性に腹が立ってくる。
「まあ、でもさ謝ってきたらちゃんと許してあげるんでしょう?」
「それは、まあ……ちゃんとわかって言ってきたらね」
のんびりやなあの弟は一週間後に気づくとかもざらなのだ。それでも許してしまうのはあたしが弟を大好きだからだとわかっている。のろまでずぼらな弟だけど、のんびりやでやさしく笑う弟だ。愛すべき弟なのだ。
「じゃあさ、ほら」
不意にナルがにやりと口の端を持ち上げる。そしてあたしの肩を叩いて背後を示す。
「え?」
怪訝な顔で振り返れば、そこには小さくなったメンの姿があった。
「ソーちゃん」
耳が垂れた犬のようにも見えて、それだけでほだされそうになる。だけどあたしはぐっと堪えて胸を張った。
「なに? 何の用?」
精いっぱい不機嫌な声を出す。メンの顔は眉がハの字になっていて、情けない。
「あの、その、さっきはごめんね」
あたふたと言いつのりながらあたしの手を強く握る。
「いつもは触らないようにしてるんだけど。虹色の水があったんだ。すごく気になってつい蓋を開けちゃったんだよ。ごめん。……僕、もう許してもらえない?」
ああ、とため息を吐く。虹色の水は確かにあった。置き忘れたのはあたしのミスだった。瓶に移すには魔法を使わなくてはいけなくて、けれど疲れていて忘れてしまったのだ。
メンは今にも泣きそうな顔になってしまっている。どうしようかと考えていると、弟はポケットから何かを取り出した。
「こ、これ!」
手の中に握らされて、開いてみる。キラキラと光るロケットのキーホルダーがあった。
「露店で見つけて、ソーちゃんにはちょっと幼いかもしれないと思ったけど、でも、でもね。それを持ってるソーちゃんはとってもかわいいと思うんだ。仲直りしよう」
確かに安物と言われてしまえば終わりだが、キラキラと光を反射して眩くなる。空の星に向かうロケットだけど今はメンからあたしに向かってきている。あたしは何だか笑いがこみあげてきた。
「いいわよ、仲直り」
「本当!」
あたしの手をぶんぶんと振るメンにいつの間にか機嫌は直ってしまっていた。
離れたところから、全く傍迷惑な姉弟ね、とナルの声が聞こえた気がした。
※過去のお題バトルにて制作。
犬かはゆし
公募作/現代/恋愛/ほのぼの
散歩に出ると人に興味津々な我が愛犬のゴマロははっちゃける。それはもう周囲の人に勢いよく駆け寄ろうとする。撫でてくれる人にキュンキュンと訴える。それを愛想笑いと苦笑いで私はいなす。正直めちゃくちゃ恥ずかしい。
決まった時間に散歩に出ると生活タイムが似た人だと顔なじみになる。犬仲間ならばなおさら。ゴマロは犬友達にもよく突撃する。それを嫌がる子もいるけれど、少し落ち着かせれば大体仲良くしてくれる。
春先は心地よいのだが、最近はすぐ暑い夏がやってくる。夏の時期はとてもじゃないが、日の出ている時間に散歩は難しい。朝はなるべく早めに、そして夜は少し遅めに散歩に出ることにした。時間を変えると犬仲間も同じようにずらしていて、結局いつもと同じような散歩になったりする。
夜に散歩しているとよく遭遇する人が居る。ひょろ長い男の人で、犬がもしかして苦手なのかもしれない。遭うといつも引き気味なのだ。けれどゴマロは気にせず突っ込んでいこうとする。その度に彼は慌てて去って行く。キュンキュンと引き留めようと鳴くけれど、逆に走り去られるくらい。
犬が好きな人を犬はわかるというけれど、苦手な人に突き進むなんてあるんだろうか。姿が見えなくなれば、結局ゴマロも諦めるけれども。
ちなみに彼は週に二、三回は遭う。他の犬仲間にも聞いてみたら同じように逃げられる子と素通りされる子と様々だった。どうも逃げられるのはどの子もかまってちゃん達ばかりだ。素通りされている子は礼儀正しいか脇目も振らず散歩を楽しんでいる子たちのようだ。
逃げるわけではないならば、すごく苦手では無いのかも知れない。
名前も知らない方なのでどうにも出来ないが、いつもうちの子がすみませんという気持ちになる。
ある日いつものように遅めの時間に散歩をしていた。ゴマロが草むらをふんふんしてると思ったら突然倒れた。本当に突然で、私は一人で慌てた。いつもより激しく息をしている。抱きかかえて名前を呼んでも苦しそうな呼吸音だけしか返ってこない。
「どうしました!」
そこに掛かった声は天の助けに聞こえた。だが振り向くとあのいつも逃げる男の人だ。この人に言ったところでとなんとも出来るとも思えない。でも誰かに一緒に考えてほしい。
「ゴマロが、犬が急に苦しみだして……!」
顔色を変えた男の人がゴマロに手をかざす。
「かかりつけの病院は?」
「あ、そ、バス停の先の……」
「わかった!」
私の腕の中からゴマロを彼が抱える。そしてすごい早さで駆けだした。
「え! ……は、速っ!」
いつもの逃げ足よりも更に速さが増している。あれは全力で逃げていたわけではなかったのだと冷静に思いながら、その速さに追いつけない。ゆっくり来ていいから、と前方から微かに聞き取れた。
そうは言われてもゴマロは私の子だ。他人任せにするわけにはいかない。私の持てる全速力で病院へ駆け込む。
全速力で走るのはいったいいつぶりだろう。
病院に着いたら、すぐにスタッフの方が気づいてくれた。息も絶え絶えの私にゴマロは大丈夫と声を掛けてくれた。その一言だけで私その場にへなへなと崩れる。
「すごい勢いで貝塚さんが来たから驚いちゃいましたよ」
「貝塚? 誰?」
呼吸を整えるのにもう少し掛かる。スタッフさんは不思議そうに首をかしげる。
「誰って、ゴマロちゃん連れてきてくれたの貝塚さんよ?」
「……あ、名前聞きそびれてた。お礼、お礼を言わないと」
「あらー」
生ぬるい目で微笑まれた。それについては敢えて被ろう。
「ゴマロちゃんのところに案内しますね」
立ち上がるとスタッフに着いていく。まだ少しヨロヨロしているのは見逃して欲しい。
ゴマロは診察室の一つで寝かされていた。氷を頭や脇の下、お腹などに当てられている。それで熱中症だとわかった。大丈夫という言葉に満足して、普通に症状を聞くのを忘れていた。まだ目は開いていないが、呼吸は苦しくなさそうだ。
「よかった、ゴマロぉ」
背中を軽く撫でてやると、瞼がぴくぴく動く。
「よかったね」
誰もいないと思っていたら、男の声が割り込んできた。ビクッと肩をはねさせてしまった。貝塚さんがゴマロのいる診察台の向こうで、椅子に座っていた。
「あ、ごめん。急に話しかけて」
「いいいいえ! あの、ありがとうございました。……貝塚さん?」
名前を呼ぶと目を瞠る。
「あの、スタッフさんにお名前を伺いました。今日は本当にありがとうございます」
「いいえ。こちらこそ急にわんちゃん抱いて走っちゃって。びっくりしたでしょう」
「……倒れるなんて初めてだったので、病院とか全然思い浮かばなくて。声かけてもらって助かりました」
「そっか」
だったらよかった、と貝塚さんは頭をかきながら笑う。少し照れているようだ。
犬も熱中症になるというのは聞いていた。犬仲間たちと気をつけようね、と先日も話をしたばかりだ。それなのにうちの子は大丈夫だ、なんて軽く考えていた。病院がまだ開いている時間でよかった。そして私の足では手遅れになっていたかもしれない、と思うと怖くなった。
「あの、私は平と言います。平ゆきです」
「ああ、貝塚良です」
何度か遭遇していたけれど、こうやって面と向かって話すのは初めてだ。何だかおかしな気分だ。
「ふふっ」
うっかり笑ってしまうと彼も同じように笑みを浮かべていた。
「ゴマロちゃん、って言うんですよね。なんでこの名前を? もしかしてこの体毛から?」
「ええ」
ゴマロの特徴はなんといってもこの体毛だ。黒に白が混じった斑模様。まるで胡麻のようではないか。私の犬仲間ではちょっと珍しい体毛なのだ。
「それにこの顔。ほら、眉毛が麻呂っぽいでしょう? だから胡麻と麻呂を合わせて、ゴマロです!」
うっかり拳を握って力説すると、ぶふっと肩をふるわせる貝塚さんだ。
「……た、確かに平安貴族っぽい太い眉毛ですね。ふふ、……かわいい」
そう言いながらゴマロに手を伸ばす。なんでかツボにはまってしまったらしく、時々ブッと吹き出している。
時々瞼がぴくぴくしているので、ゴマロももう少しで目覚めそうだ。しっとりとした毛並みが今は少しパサついている。もう少し気をつけてあげるべきだった。犬の方が地面に近いから暑さの影響を受けやすい。
やさしく撫でていると、漸くゴマロの目が開いた。まだぼやっとはしているが、意識が戻ったのならよかった。
「目が覚めましたね。ちょっとスタッフさん呼んできます。平さんはそのまま撫でてあげてください」
「あ、はい」
言うが早いか、さっと部屋から去って行く。
ゴマロは私に撫でられていることにやっと気づいたらしい。手に顔を擦り付けてくる。その様子に心底安堵する。
身体に当てられていた氷が滑り落ちる。この冷たさがゴマロには必要だったのかと思うと、ただの氷にも感謝したくなる。
「ゴマロ、ごめんね。ちゃんと対策してお散歩行こうね」
散歩の言葉に反応したのか、弱々しくも尻尾を振ってくれる。
「うん。いい子」
その後スタッフさんに水を飲ませてもらって、今日は無理をしないように帰された。腕に抱えるには少し大きいが、まだ歩かせるのは心配だ。
「家まで送ります」
「え、悪いですよ?」
「ゴマロちゃん、重いでしょう」
そう言って私の腕の中からゴマロを抱きかかえる。私の腕から離れたというのに、何故かゴマロは貝塚さんの腕の中で嬉しそうに尻尾を振っている。急に元気になったようだ。
「あの、……聞いてもいいですか?」
「はい?」
最初は気にしていなかったけれど、途中で気づいてからは聞きたくて仕方なかった。
「犬、苦手じゃないですよね」
最初にゴマロを運んでくれたときは急ぐ必要があったからかと思ったが、触れる時点でアレルギーではない。それにさっきも病院で撫でて、且つかわいいと言っていた。この人は絶対苦手なひとじゃない。
質問に対して、貝塚さんはあーとか、うーとか、呻っていたが、ゴマロに顔をなめられて顔を上げた。
「……その、恥ずかしいんですけど、犬大好きです」
やっぱりだ。
「大好きすぎて……遭ったら撫でたくなっちゃうんですよ。だから逃げてたんです」
「そ、そんな理由……」
口元がふよふよとしてしまう。我慢しようと思ったけれど、ダメだ。
「……くっ、……ふっ、……すみません。ま、まさかそんな意外な理由! あはは、今度からは気にせず撫でてやって下さい。ゴマロは貝塚さんを好きみたいなんで!」
比喩ではなく顔を真っ赤にした貝塚さんを、ゴマロが容赦なく舐め回している。恨めしそうに私を睨めつける。しかし次の瞬間には目をギュッと瞑って呟いた。
「……それに飼い主さんも可愛かったもんで」
ちらりと私を窺う彼と目が合って、私たちは揃って顔をそっぽに向けた。
ただゴマロだけが、嬉しそうに尻尾を振っていた。
了
202502
私の筋肉が悲鳴をあげているんだ
公募作/現代/マッ……/コメディ
「肥えたお前に用はない」
言い捨てた彼に私は激怒した。
確かに、控えめに言っても私はふくよかだ。しかしながら体のどこもかしこも柔らかくて、友人たちにはとても好評である。お前もさわり心地がよくて好き、なんて可愛こぶって言っていただろうが。
まあ、付き合いたてほやほやの頃の話だが。当時はまだ今ほどの体重ではなかったことも付け加えておく。
怒りを覚えたのはもっともだが、これ以上の関係修復は望めない。彼とはもう縁のない関係になった。これ以上の怒りを奴に向けてもどうしようもないことはわかっている。もう一度一緒になりたいとも、思っていない。
ただ言葉は選べよ、とすごくすごーく思うのは当然の話だと思う。
しかし現実として、自分も少しお菓子を食べ過ぎたかも、なんて思っていたこともあって少しは運動をしようと考えた。
***
ダイエットといえば運動だ。といってもふくよかな体型から分かるとおり、得意ではないのが運動だ。ならば得意な人に教えを請おう。
「ということで、色々教えてください」
同じマンションに住んでいる同い年の友達のよっちゃん。ちょうど近い時期に入居したこともあり、仲良くなった。何より彼女は趣味が運動というとてもマッ……スレンダーな人だ。こういうときには頼るに限る。
「ゆあちゃん、そんなこと言われたの? それはさすがにないよねえ」
「でしょでしょ! 言い方を考えなさいよって感じだよ!」
簡単に経緯を伝えると、めちゃめちゃ引いてるよっちゃんだ。あの言い方はさしもの私も許せないよ?
「でも運動に興味持ってくれたのはうれしいな」
身長も高くてマッ……スレンダーなよっちゃん。ここまでならなくてもいいけれど、ちょっとだけ近づけたらうれしい。
その日はさすがにすぐに運動というわけにはいかなかったので、日を改めてよっちゃんに付き合ってもらうことになった。
***
よっちゃんの一日はジョギングから始まる。……のだが、さすがに私がジョギングで付き合える気がしないので、ウォーキングをすることになった。本当よっちゃん助かるよ。
エレベーターを使うところを階段を使ったり、バスで一停分歩いてみたり、それくらいならすることもあった。けれどきちんと意識してウォーキングはしたことがない。
「ゆあちゃん。ウォーキングは正しい姿勢でやるのが大事なんだよ」
そういって見本をみせてくれるよっちゃん。
背筋を伸ばし、あごを引いて、目線は遠くにやるようにするらしい。
「肩の力は抜いて、腕は大きく振った方がいいね」
腕を大きく振りながら、腰も回転させる。私の周りをぐるっと回って、ゆあちゃんも、と私を誘う。これなら出来そうだ、とよっちゃんの後に続く。
まずは教えてくれたように姿勢を整えて、大きく腕を振りながら足を踏み出す。思ったよりも軽く足を踏み出せた気がする。
「もっと腕を振って!」
よっちゃんの声につられてさっきよりも更に腕を振る。そうすると自然と腰も回転した。
「つま先じゃなくてかかとで着地するといいよ」
そういえば着地する部位までは気にしていなかった。その方が踏み込みがしっかり出来るらしい。
「いいよー!」
よっちゃんに褒められて、いい気分になる。
意気揚々と歩を進めていくが、ほどなく汗が滴ってくる。こんなにも汗って出るものだったかな。時計を見ればそれなりに時間は経っていたようだ。
「よし、神社まで行って休憩しようか」
「わ、わかった」
ここから十分くらいの距離にある神社を目指す。ただ坂道なんだよね、と思いながらも十分くらいなら何とかいけるだろうと汗を拭いて歩いて行く。
十分は十分。たかが十分、されど十分。あと百メートルくらいの場所で、私は立ち止まった。
「……ちょっと休憩しようか。そこの壁に背中あずけるといいよ」
民家の壁に手をついて、息を整える。よっちゃんもここまで私が駄目だとは思っていなかったんだろう。けど実際は五分歩くことすら出来なかった。だらだら歩いているわけではなく、姿勢を整えて腕も振ると結構な体力を使うと初めて知った。
「ゆあちゃーん、はい」
自動販売機でよっちゃんが買ってくれた水を飲んで小休憩する。
「落ち着いたら、今度は普通に歩いて神社に行こうか。ゆっくりでいいからね」
「ごめんね、よっちゃん」
「ううん。最初だからね。わたしも飛ばしすぎたよ」
笑って許してくれるよっちゃんが眩しい。
「これで運動好きになってくれるなら、全然いいよ-」
あ、違う。これは運動仲間を増やそうとしているだけだ。さすがぶれないな、よっちゃん。
でも今回はとても助かるので、乗っかろう。そのうち本当に運動が楽しいと思えてくるかもしれない。ただマッチョにはならなくてよいけど。
神社まではよっちゃんと軽くおしゃべりしながら歩いた。こうやって他愛ない話をしながら歩くのは全然大丈夫のようだ。折角なので神様に挨拶をして、神社を抜けた先にある空き地に来た。よく日曜の朝とかに年配の方々がゲートボール的な何かをしているところだ。
「さて、じゃあ、ここでするのは体操です」
楽しそうに手を挙げて、よっちゃんが言う。ウォーキングする前に軽いストレッチならばしたけれど、それとは違うらしい。
「まずはわたしの見よう見まねで動いてみてね」
「わかった」
気をつけの姿勢をしたよっちゃんが体全体を少し緩めた。S字のようになったところで両手を軽く突き出した。そこからゆっくりと腕を動かしていく。それと同時に体全体も何だかまるく動いていく。球体を体のあちこちで回しているみたいな動作だ。
これなら出来そうだ。さすがよっちゃん、と思いながら彼女の動きを真似る。
ゆっくりと動きは速くないのに、私はまた息が切れてきた。速い動きは一切なかったのに、足腰や腕に見えない荷物を載せられているようだ。
よっちゃんは私の様子を見て、頷く。
「呼吸は止めちゃ駄目だよ。よくテレビとか見たことない? あれだよ、太極拳」
「ああ!」
何か見たことのある動きだと思った。私は納得して手を叩きそうになったが、声だけで我慢した。緩慢な動作は逆につらいって聞いたことがある。正に今の私だ。
「よーし、終わり―!」
倒れはしないが、深い息を吐き出す私をよっちゃんは爽やかな笑顔で眺めている。さすがに今度はよっちゃんも汗をかいている。
「さ、休憩したら、帰ろっか」
「もういいの?」
「初日だからね。楽しんでもらえないと続かないでしょ」
それはそう。同意して、帰りは楽しくのんびり帰ってきた。
心なしか体も軽くなったような気がする。
そう思った翌日、だが私は起きられなかった。
***
「ゆ、ゆあちゃん?」
心配と驚きがよっちゃんの顔に現れている。
自分でもここまでとは思わなかった。そういえば以前運動と呼ばれるものをしたのはいつだったか。多少の筋肉痛は覚悟していた。しかし動くたびに私の体中をピキピキいわせるものは何なのか。こんなにも筋肉痛とはつらいものだっただろうか。
……覚えがないな。
「ごめん、よっちゃん」
苦笑いを浮かべるよっちゃん。大丈夫、運動はまだ嫌いになってないよ。好きかは判別つかないけれど。ただ昨日と同じものをまたすぐにするのは無理だ。だから本当に軽い運動から、そう例えばこれならいけるだろう。
「ラジオ体操からにしてもらっていい?」
私がいま考え得る精一杯の軽い運動だ。
了
202503
春のはじまり
現代/恋愛/ほのぼの
新学期はいつもドキドキする。教室を開ける瞬間は指が震えて、緊張で目を瞑ってしまう。そうして開けた教室の中に眩しい笑顔が輝いていたら、とてつもなく幸せな一年を思わせる。
「話しかけないの?」
眩い笑顔の持ち主は密かに憧れる陸上部のエースで、私とはクラスメイトという以外の接点はない。ミオちゃんは残念そうに言うけれど、私は見ているだけで十分だ。
陸上部エースの山城君はクラスのムードメーカーだ。賑やかなことが好きで、いつも人に囲まれている。男子女子共に友人が多くて、だけどそれ以上に放課後心から楽しそうに走っている姿が印象的だ。
「そんなに好きなら告白すれば? あいつ結構人気あるんだよ」
「そ、そんなに無理だよ!」
人気があるのは当然だろう。あんなにたくさんの人にいつも囲まれているのだ。私だって本当は傍によって話をしたい。でも地味な私じゃ釣り合わない。
「うーん、そうは思わないけどなあ」
ミオちゃんの言葉は嬉しいが、そうに決まっている。
放課後にグラウンドを走っている山城君を見る。私はいつも彼を座って眺めていた。といっても用もないのに見ていたわけではなく、私は私で部活をしているのだ。ただ彼をモデルにしていることを秘密にしているだけで。だから今日もいつも通り眺めていた、のだけど何故か姿がない。首を傾げて周囲を見回していると、背後から地面を踏む音がした。
「わ、すっごい!」
ぎょっとした。いつの間に移動したのか山城君がいた。そして慌てて私はスケッチブックを隠す。
「あー、隠さなくていいじゃん。木下って美術部なんだっけ? すごいね、うまい。てか、それうちの部の誰かだろ」
誰かというか貴方本人です。ということも出来ず私はただ俯く。
「あー、ごめん。いきなり悪い。いつも見てただろ。気になってさ。それに木下とまだ話したことなかったから。あー、俺みたいなの苦手だよな。ごめん」
沈んでいく山城君に私は思わず顔を上げた。尻尾の垂れた犬のような彼に、私は首を横に振る。
「び、びっくりした、だけ!」
予想以上の大きな声に自分でびっくりする。でも、すぐに満面の笑みを見せてくれた山城君に、私の頬も思い切り緩んでいた。
了
202505
恵みの雨
現代/恋愛/ほのぼの
ぽちゃん、と雨の跳ねる音。リズミカルに鳴れば、まるで楽しそうにも聴こえる。梅雨の最中は雨ばかり。けれど私は嫌いではない。
「今日も雨かー」
眉をハの字にさせているのは前の席の三重くん。
「憂鬱だよなー。部活もできないし」
三重くんはサッカー部なのだ。なんとかかんとかレギュラーになれたのだ、と嬉しそうに話していたのがひと月前のこと。残念かもしれないが、天気ばかりは仕方がない。
「お前は雨でも楽しそうだよな」
そう言って私を振り向くと、勝手に体の向きを変えてきた。そして私の机につっぷしていく。
苦笑しながら彼の髪を撫でると、予想と違うやわらかさに驚く。なんとなくずっと撫でていると、もぞっと動いて、ちらっと私を射ぬく。
「お前、勝手に撫でんな」
えー、気持ちよかったのに。駄目か―。
「気持ちよかっ……たって!」
撫で心地の良い髪でしたー。
そう言ってあげると私の手をがっちりと掴み、猛然と顔を上げた。
三重くんは、はくはくと口をわななかせている。まるで金魚が酸素を欲しがっているようだ。繋がっている手からは彼の熱が私に移ってくる。
雨の中だと屋外に外で体を動かすことはできないけれど、私は好きなんだ。恵みの雨だっていうじゃないか。雨の間にどうやって体を鍛えるか、いつもと違う頭を使う。体を動かす以外にも、皆でチームとしてのこれからを考える時間もあるだろう。
それにこうやって三重くんと交流できるのも雨のおかげだ。私にはそれが一番うれしいことだけど。ねえ、三重くん。
「お前はよー……」
笑って、ついでにそろそろ手が痛いなー、と訴えてみる。かよわい文系女子に、体育会系男子の力は強すぎる。気づいてくれて、やっと手を放してくれた。
だけど今度はその手で私の頭をわしわしと撫でた。
「お前の髪だって撫で心地いいよ」
くしゃくしゃにしないでほしいけど、三重くんが何だか楽しそうに笑ってくれたから、私も一緒に笑顔になった。
雨だからこそ、仲良くなれることもあるんだよ?
了
202505
まいごのボクら
人の世界シエル。
竜の世界テンニーン。
二つの世界は隣り合っている。本来は重なることのない世界。だが時に、何かのきっかけで重なり、ぶつかり、互いの世界に住人たちが落ちることがある。
これは異なる住人たちが手を取り合い、助け合っていく物語である。
20250802 越してきた男 更新
竜/龍/ドラゴン/表裏世界/シリアス/コメディ/ほのぼの/異世界交流
龍駆ける
傘を忘れてしまった。
お天気の御子(みこ)はきちんと夕方には崩れると教えてくれていた。だからこれは私が図書室で夢中になりすぎた結果だ。自業自得だとわかっている。
憂鬱な気分なのも自分のせい。でも、だからこそせめて期待したい。
こんな激しい豪雨なのだから。
我が国の都は山の中腹を切り開いて作られている。争いを避けて逃げた結果である。その山頂には小さな学園都市があって、私はそこに通っている。
将来の夢は外交官だ。そのために勉強することはいっぱいある。時間はいくらあっても足りないし、彼らのことを本当に知りたいならもっと知識が必要だ。
勉強は好きではないけれど、これも夢のためだと思うならば頑張れる。それに学ぶことが彼らのことならば、意欲も倍増するというものだ。
ただ、いま一番考えるべきはこの激しい雨風の中、どうやって家に帰るかということだが。傘を持たない私は玄関の前でザアザアと耳障りな音を立てる雨を眺めるしかない。
雨はどちらかといえば嫌いだ。濡れると服に貼り付いて気持ちが悪いし、出かけるのも億劫になる。友達と遊びに出かける時など最悪だ。それでも好きな時だってある。
黒く厚い雲が運んでくる雨の匂い。
暗い空が切り取られた一筋の晴れ間。
雨上がりの虹の切れ端。
鼻の奥に広がる空気、つい顔を上げた先に浮かぶ――七色の光。
嫌いだと言いながらこんなにも愛しく思うのはきっと幼いころ見た景色に起因するのだろう。間近で見た光の奔流は今でも鮮明だ。
「悠火(ゆうび)さん?」
ぼんやり過去に現実逃避していると、背後から呼びかけられた。私以外に誰か残っていたのだろうかと思ったが、残念ながら生徒ではない。
「石咏(せきえい)先生」
「もしかして傘持ってないんですか? 今日の御子さまの予報聞いてなかったんですか?」
気弱そうな男性教諭、石咏だ。
「聞いてました。でも朝方持って出るのを忘れて、そのうえさっきまで図書室に籠ってたんです」
渋々答えると、石咏はなんともいえない表情になった。言いたいことはわかる。自業自得を重ねた自分の行動にフォローも何も出来やしない。
「先生こそ、まだ帰宅してなかったんですか」
「僕は仕事です。それに傘は持ってますから」
傘のことまで言わなくてもいいと思う。唇を尖らせた私に少々面倒くさそうな顔を作っている。
「まあ、忘れたものは仕方ない。それで雨が弱まるのを待っているんですか」
「そうですー」
頬杖をついてじと目で睨みつけると苦笑が返ってくる。
「膨れないでください」
そう言いながら彼は私の横によいせ、と腰を下ろした。手に持っていた書類も置いたことから、どうやら暫く此処に居座るつもりのようだ。
「悠火さんは勉強家ですねえ。教師としては嬉しい限りです」
図書室に入り浸っていることを言っているようだ。
「将来はテンニーンの方と仕事をしたいのでしょう?」
「外交官になりたいんですよ。そのためには全然時間も足りないですけど」
口すぼみになる言葉に石咏はですよねー、と相槌を打ってくる。
「いまやエリートですもんね。テンニーンに関わる仕事は狭き門。いくらこの学園がその部門に特化しているといってもなかなか……何よりあちらの方々に気に入られないと交代を要求されますしねえ」
「ええ! 気に入らなかったら交代されるんですか!」
勢い込んで顔をぐりんと石咏の方に向けた。外交官になんとか引っかかればずっとその仕事をできるものだと思っていた。それなのに相手に気に入られないといけないとは恐ろしすぎる。
「交代まではいくのは余程相性が悪かったときですよ。通常は態度をあらためてもらいたい、と忠告がきます」
それでも忠告はされるのか、と知らなかったことを聞いて呆然とする。
「ほら、まあ、繊細な方々ですからね。見た目で嫌がる人とか、逆に熱意を向けられて困るとか、そういうことがあるそうですよ。悠火さんは……穴があくまで見つめていそうですね」
否定できない。
この世界シエルとは逆さ世界のテンニーン。そこに住まうのは私たちとは違う姿形をしている者たちだ。今は相互理解が進んでいるが、昔は大変だったらしい。討伐の対象になったり、畏れられ崇め奉られたり。
「やっぱり昔どこかで見たんですか」
風がゴウゴウと吹き荒れる。
「ええ、昔」
あの日も空は荒れ模様。
幼い私は激しい物音に怯えながらもわくわくしていた。そして両親が目を離したすきに、扉を少しだけ開けた。その瞬間家の中には激しい風が流れ込み、叩きつける雨が外を覗いた私の顔半分を濡らした。
扉の中へ入っていった風は同時に外にも出ようと暴れ、私は外へと放り出された。それくらい風の力は強く、慌てる両親の元へ戻らなければと子ども心に慌てた。けれど、けれど、嵐の中に立つことは難しかった。
「助けてもらったんです」
どうしよう、戻らないと、立ちたいのに、と無様に地面にへばりつく私に救いの手をくれたのは大きくて荘厳な方だった。風の力を和らげ、そっと私に息を吹きかけた。温かい空気が私の周りに出来て、家の方へ押し出された。
家に辿り着くと両親は慌てて私を抱きしめ、扉の向こうに頭を下げていた。扉が閉まりきる前に振り返った私はその姿を網膜に焼き付けた。ゴウゴウと鳴る風の中、その方の周りだけが七色に煌めいていた。
「そっか。貴重な体験をしたね」
「先生もこの学園を選んだのは何かあるんですか」
この学園にいる人は大体が何かしらテンニーンに対して思うことがある人ばかりだ。
「うーん、昔あっちに落ちた「落ちたんですか?」
シエルからテンニーンへ何がしかの門をくぐってしまった人や彼らを“落ちる”と言う。つい身を乗り出してしまった。落ちた人に出会ったことはない。特にここ十数年で発見された門は報告後速やかに閉じられているか、管理の対象となっている。
石咏は頬を掻きながら眉を下げた。
「僕じゃなくて、知り合いがね」
「……ああ」
乗り出した身をスススッと引いて元の位置に戻る。
「だから話はちょっとだけ聞いてね。まあ、仲良くなれるといいかなって思っているんだ」
「そうだったんですね」
身近に感じられることがあった人は多くない。きっと私はまだ稀で、よい方だ。この身にそのぬくもりを感じられたのだから。
私と石咏の間に微妙な沈黙が落ちる。
石咏の方がそう気にした風もなく外を見ているので、私も窓の外に目をやった。
荒れていた雨風は少しだけ穏やかになったようだ。まだ雲は濃いが、風音は落ち着いている。空の暗さも次第に薄れているように見える。
ふいに石咏が立ち上がる。まだ雨は降っている。
扉に向かって歩き出したので、注意しようとしたが彼の視線に気づく。固定された目線の先には空の一点が。
風がやみ、雨が上がり、雲間から光が降りそそぐ。
浮かぶ虹の更に先――感嘆が漏れる。
空へ昇る龍の姿。
時間にして数分、いや数秒だったのだろう。
だけど息を殺して見つめていた。
光に向かう優美な巨躯を――。
「……綺麗」
呆然と呟けば、やはり呆けた声が返ってくる。
「ああ……」
荒れ狂う空では時折、テンニーンの住人達である龍や竜が遊んでいると云われる。遊びに飽きたら虹を置き土産に元の世界へ帰っていくのだ。
もし虹の向こうに彼らが見えたなら、龍縁を得る、とも云われている。
空はすでに雲一つない青空が広がっていた。
※空アンソロに寄稿した作品です。
老竜と青年
最近とんと起きてこない。時々腹が減り、うつらうつらしながらも飯を食うが、それ以外ほぼ起きていない。目を開けてもどこを見ているのかぼんやりとしている。
つまり心配しているのだ。
なんだかんだで俺はこの変な相棒を気に入っている。
「おい、大丈夫か?」
やはりその日も目の焦点が合わない奴に声を掛ける。俺の声に反応はするものの、気分は悪そうだ。
「やはり医者に見せるべきなのか……」
「医者なんぞ……、どうにもならんじゃろうが」
つらそうにしながらも少しは意識があったようで、返事があった。
「そうは言ってもな」
「大体この世界のどこに儂をみれる輩がおるんじゃ……」
「そうだなあ……」
さみしげな言葉には同意するしかない。とはいっても誰もいないとも思えない。
次の町に行ったならば、役所に赴くべきか。そう思いながら俺はつるつるとした奴の肌をなでる。
何しろこの世界には竜は基本いない。しかも奇病に冒されたというならば、更にない。それでも縋るのならば医者ではなく役人だ。
「とにかく早く次の町へ急ぐよ。落ち着けるところへ行こう」
町に竜の出向役人がいることを祈りながら、そしてこの相棒を労りながら、俺は歩くしかなかった。
数ヶ月前に突如落ちてきたこの竜は奇病に冒されている。元々は普通の竜の大きさだったらしい。人間よりも何倍も大きく、それは見上げても顔が見えないくらいはあったという。それなのにこちらに落ちてくる前に何故か体積が縮んできたらしい。そのうえそれはずっと続き、今では鞄の中に隠れてしまうほどだ。
食べるものは人と同じで、それだけは良かったと心から思う。おかげで何とか生きている。食べることが出来るのならば、何とかなる。
そうやって誤魔化しながら着いた町には幸いなことに役人がいた。しかもこちらに出向している竜の役人がいた。
役人は彼を診ると、思案しつつも答えてくれた。
「これ以上体が縮まないようには出来ます。しかし元の大きさには戻れない。死ぬよりは全然マシでしょう。治療しますよ」
原因は寄生虫らしい。こちらに落ちる前に食べた果実についていたらしい。竜を縮める寄生虫など恐ろしすぎる。ただ原因がわかって良かった。ホッとしていると、笑顔で付け加えられた。
「では、治療後は貴方を保護者として登録します。仲良くするんですよ、二人共」
俺と彼の視線が被る。お互いに困ったような嬉しいような、照れくささが浮かぶ。
「この体では仕方ないからのぅ。治れば護衛くらいしてやるぞい」
「その大きさでは踏まれちまうからな。まあ、旅は道連れとも言うしな」
なんとなんと、下手な言い訳を口にしながら、顔はどちらも笑っていた。
迷子と折衝
「あーん! ここどこ! おかあさーん!」
どこに行ってもお母さんはいなくて、泣いていた。見たことのない場所、見たことのない小さな生き物たち、なんだろうこれ。
どうしてお母さんはいないんだろう。
あんまり泣いてたらお腹もすいてきた。
でも食べるものも見つからない。
「うう、おかあさーん!」
手当たり次第に動き回ったけれど、お腹が空きすぎて動けなくなってきた。このままこの分からないところで一人なのかな。動けなくて、お腹も空いて、どうしたらいいの?
「イタッ!」
気づいたら小さな生き物たちがボクを攻撃してる。すごい痛いわけじゃないけど、邪魔。でもボクが炎吐いたらこの生き物多分すごい怪我しちゃう。あんまり小さいのいじめたらお母さんに怒られちゃう。
でも、痛いなあ。どうしよう。
お腹も段々限界がきそう。
どうしよう、でももう面倒になってきた。
炎吹いてもいいかな?
いいよね?
「もういいや。怒られてもいいから、炎吐こっ!」
決めたら気分が軽くなった。よし、と気合いを入れてお腹に力をこめる。
「あーあー! ちょっと待って!」
でもその前に白いお兄さんが目の前に降りてきた。細長い身体でシュッとボクと小さな生き物の間に立つ。
ボクだけじゃなくて、小さな生き物たちも驚いたみたい。
「こら、ちび! お前崖から落ちたらしいな。ママが捜してたぞ。帰してやるからちょっと待ってろ。それからえっと……『突然すまない。私たちに君たちを害するつもりはない。後で詳しく説明をするが、一先ずこの子を元の場所に帰してくるから少し待っていてくれ』」
お兄さんはお母さんが何処にいるか知ってるみたい。小さい生き物に説明をしてるのをおとなしく待っていると、終わった後帰る場所を教えてくれた。元の場所に帰れる道を教えてくれて、本当にその通りにしたらお母さんに会えた。
「おかあさーん!」
お母さんに抱きつくと、お母さんも抱きしめてくれた。
「もう、崖には気をつけなさいと言ったでしょう! なんとかティグに連絡ついてよかったわ」
「ティグ? さっきのお兄さん?」
「そうよ。言葉が堪能だからね。何とかしてもらおうと思って慌てて呼んだの」
今度お礼を言いましょう、とお母さんが言うのに頷いた。
***
「さて、説明をしよう」
ここは我らが棲まう世界とは異なる表裏世界。ちびっこが迷い込んだおかげで何故か我も訪れる羽目になった。
ちびっこは無事送り届けたが、何の説明もないのは困るだろう。それにまたこのようなことが起きても困る。彼ら小さき者たちを徒に刺激したいわけでは無いのだ。
再度訪れると、小さき者たちは我に膝を折った。そこまでは求めていないが、時折迷い込む我らを誰かが見て知っているのであろう。彼らより強い存在であることは間違いがないのだ。簡単に説明をしてしまおう。
「我らはここと別の世界に存在する。おぬしらが知らぬのは承知だが、我らとおぬしたちの世界は表と裏で繋がっていてな。時々迷い込んでしまうのだ」
一人、派手な身なりのものが進み出る。
『時々あなた様のような竜の伝承が残っております。それは迷い込まれた方、ということでしょうか?」
「そうだ。竜というのは我らのことだな。湖の底や、崖下、森の影など見えにくい場所に空間のひずみがあって、どうにも時々迷い込んでしまうのだ」
知っているのならば話は早い。さっさとまとめて我も帰ろう。
「もし迷い込んだならば、とりあえず刺激しないように保護していてほしい。なるべく早く迎えには行くようにするので」
どうせ呼び出されるのは我ら一族の誰かなので、保護さえしてくれれば何とかなる。だが小さき者は戸惑っている。小さき者には保護は難しいのか。
『あの、私どもの国には周知させることは出来ます。しかしこの世界には他にもたくさんの国がありまして、私どもも他の国のすべてに伝えることは難しいかと……』
「……そんなにたくさんの国があるのか?」
我らが棲まう世界には国というくくりはない。部族ごとに棲んでいるので国と言えば国だが、周知したいときは誰かが叫べば伝言で伝わっていく。小さき者たちにはそういう方法はできないのか。
『あの、協力できる国ととりあえずこの話を共有するようにいたします。そこから私どもと国交がない国にも伝えてもらおうと思います』
「そうか。……時間が掛かりそうだが仕方ないか」
『あ、あの、それで申し訳ないのですが、一度他の国との話し合いに一緒に来ていただけませんか? そのお姿を一度見せていただければ皆も納得すると思いますので』
これはとても面倒くさいことになった。我の表情で察したのだろうが、小さき者はなんとかとひたすら頭を下げている。仕方なく、了承すると小さき者はホッと息を吐いた。
一度元の世界には戻ったが、またこの世界に来る羽目になった我はまさかその後数年戻れなくなるとは思っていなかった。
その後、我は表裏世界で最初の外交官として働くことになる。
202404
ワニと娘
貝を獲る為に湖に潜った。そこまではいつものことだった。
ただ今日に限って違ったのは、湖の底に光るものを見つけて心踊ってしまったのだ。光る貝だろうか、と。もしそれを持って帰ったなら弟が喜ぶだろう、と。
今なら、それが間違いだったとわかる。湖深くへ潜った林果(りんか)はそこからの記憶がない。そして目覚めた時にはワニの姿があったからだ。
ワニの姿、けれど二本足で立っている。林果も驚いているが、ワニも驚いていた。
魚を焼いていたらしく、香ばしい匂いが周囲に立ち込めている。ご飯を食べるつもりだったのだろう。いやに所帯くさいワニだ。
近寄ってくるワニの姿に思わず身を竦ませると、それに気付いたのか足を止める。それから何かを喋ったが、林果には意味がわからなかった。困って眉根を寄せる。頭を傾ける。林果の仕草にワニも言葉の壁があることに気付いたようだ。手を差し出され、恐る恐るといった体で手首を掴まれた。
それだけで体は震える。するとワニの体も大きく仰け反った。恐ろしい姿だと思う。林果に触れる手は、しかし思いの外やさしい。ワニは林果を立たせ、どこかへ連れて行こうとしているようだった。数歩歩いたところでそうもいかない事象が起きた。
ぐきゅるるるぅー。
林果のお腹が鳴ったのだ。恥ずかしさとワニへの恐ろしさで、赤くなったり青くなったり忙しい。だがワニは一瞬牙を見せると、すぐに歩みを止めた。そして再び林果を座らせる。
恥ずかしさと居た堪れなさで顔をあげれないでいると、目の前にトンと何かが置かれた。ほかほかの湯気が上がるそれは先ほどまでワニが焼いていた魚だ。怖い顔がじっと林果の方を見る。手で押し出される魚に食べろと言っているらしいとわかった。
そっと口に含むとホロホロと崩れる身が香ばしい。ほんのり塩の味もした。贅沢だ。思いの外お腹が空いていたようで夢中で頬張っていると、唸るような声がした。顔を上げると当然そこにあるのはワニで、だけど瞳が少しだけ柔らかくなったように見えた。
林果が魚を食べ終わると、ワニは再び手を握る。そっと壊れ物を扱うような力の入れようは、害するつもりはないことの証だろう。そのまま外に出る。振り返れば、先刻までいた家は木で作られた簡素な家で、雨を凌ぐだけのようなあばら屋だった。周りの家も同じようなことから、これがワニにとっての普通なのだと知る。そして外には他にもワニがいた。ワニ――いや、竜だ。
林果もおとぎ話のように聞かされたことがある。林果たちのいる人の世界と、竜が住む世界は鏡合わせのようにつながっていて、時々互いに別の世界に迷い込んでしまうのだ。林果が思い描いていた竜とは姿が違うが、おそらくワニに似た姿の竜であろう。
彼か彼女かわからないが、ワニ似の竜は奥の家を目指しているようだった。その家だけは風も雨もきっちり凌げる上、簡単だが門までついていた。竜というと荘厳で誇り高い生き物という憧れがあった林果なのだが、それは見る限り妄想でしかないようだ。ワニ似の竜にびくつきながらも、林果は門のある家の中に入っていった。
門のある家はおそらくこの集落の長の家だ。ワニ似の竜は長と思しき大きなワニに話しかけている。林果には何を話しているかはわからない。説明をしてくれているとは思うが、しゃべっている言葉が理解できないのだ。そのうちに話し合いは終わったのか、また手を取られて最初のワニの家に戻ることになった。姿は怖いが悪い人――竜?――ではないようだ。
林果にワニは寝床を準備してくれた。とりあえず助けてくれる存在だと思ってよいのだろう。姿に慣れそうにはないが、それでも場所を与えてくれたことに感謝する。そのうちに林果の瞼は重くなっていった。
翌日、目を覚ましてもやはり林果はワニ似の竜の家に居た。だが客人が来ているようで、様子を覗こうとすると逆に見つかってしまった。てっきりワニの姿だと思っていたが違った。お客人は人の姿をしている。
「え!」
驚きと歓喜で声が出てしまった。
「ああ、君が……。初めまして、私は役所の者でね。状況の説明とこれからのことを話にきたんだ」
人かと思ったが、役人だという者の瞳は爬虫類の瞳に似ている。この方も竜なのだろう。膨れた歓喜はしぼんでしまった。
「まずは話を出来るようにしようね」
そう言って手を伸ばされる。拒否するよりも素早く額に触られた。
『おい! 乱暴はするなよ!』
「え?」
ワニ似の竜が慌てる様子が見える。でもそれ以上に言葉が聞こえる。きちんと、林果のわかる言葉として。
「なんで?」
「今ね、私たちの言葉がわかるようにしたよ。これで少し便利になるでしょ? ヤクーも、今度はちゃんとお話できるよ」
『なんだって! それを先に言ってくれよ』
ヤクーと言われたワニ似の竜が林果の眼前に迫る。
『なあ、あんた、名前は? 俺はヤクー! ヤクーだ!』
「あ、ああ、えっとヤクーさん、ですか。あたしは林果です。りんか。昨日は助けてくれて、ありがとうございました」
混乱しながらも頭を下げると、ヤクーからは牙が見えるほど大きな口を開けて笑われた。正直怖いが、林果は耐えた。
『はっはっはー! あれは俺が網の中身を気にせず持ってきたせいもあるからな。こっちこそ、悪かったよ』
食べられそうと思ってしまうと、林果は無意識に体が震える。ヤクーはきっと気のいい竜だろう。言葉を交わすと明るくて、興味津々でこちらを見ているのがわかる。
「はいはい、ヤクーはちょっと黙っててね。それで君がどうしたいかを教えてもらえるかな」
役人はまだ話し出そうとするヤクーを落ち着かせて、林果にも座るように促した。それからはどうやってこの世界にやってきたのか。このままこちらで住むことも可能だと教えてくれた。
けれど林果は故郷に帰ることを望んでいる。偶然この世界に落ちただけだ。
役人は林果の意思を確認すると、ではそのように、と答えて一端帰って行った。
二人になるとヤクーはとてもおしゃべりだった。昨日はわからなかった言葉が通じることで、色々教えてくれた。会話をしているうちにヤクーへの怖さも少し和らいできた。どうしても牙の鋭さには怯えてしまうが、それよりもよくしゃべった。
ヤクーはアリゲイ種という竜種らしい。漁師をしていて、湖で魚を捕った時に誤って林果も連れてきてしまったらしい。役人が林果のところの湖とつながっていたのだろうと話していた。
それからはヤクーの焼いてくれた魚の美味しかったことを伝え、この集落がアリゲイ種の集落であること、他にもたくさんの竜種がいること、また人を食べる竜種は希だということを聞いた。ヤクーは集落の外にあまり出ることがなく、人間を見るのは初めてだったらしい。
それから役人が再度訪れる二日後まで、林果はヤクーにたくさん話しかけられて世話をされた。
★
竜族と人族の間には大きな壁がある。つまりは大きさだ。ヤクーが林果を見下ろすたびにビクッと怯えられる。少しは慣れてくれたと思うけれど、こればかりは仕方ない。
人間は小さすぎるのだ。
触れようものなら壊れそうで恐ろしい。
それでも話をしている時は落ち着いてくれるようになった。興奮すると顔が寄ってしまうのを気をつければ、林果も怖がらない。
外交官の役人は里長が呼べばすぐに来た。こういう時のための連絡方法は決めてある。それに早くしないことには人族はすぐに死んでしまいそうで、怖い。だから早急に連絡を取り、保護することが必要だ。とはいえこんなに早く来るなんて思わなかった。
「まずはね、元の世界に戻ろうか。君が落ちてきた湖は使えないから、少し迂回することになる」
湖の扉を封鎖することはさすがに出来ないが、お互いの世界で注意喚起を行うことになった。大体の場所がわかれば気をつけることができる。
『わかりました。どれくらいかかるんですか?』
「うーん、私が乗せていくから元の世界に戻るまでは三日くらいかな。でもそこからは馬車を使うって話だからもう少しかかるかな。一ヶ月くらい?」
「なんでこっちよりも遠いんだ?」
役人が連れて行けば早いのはわかる。でも元の世界で更に時間がかかるのはどうしてだろう。ヤクーの疑問に役人はやれやれといった態度をとる。
「我々は飛べるからな。だが向こうで我々が飛ぶわけにはいかない」
『え、竜に乗っていくんですか?』
「君の足だと三ヶ月はかかるね。それにこっちの世界に馬車はないよ」
『……ないんだ』
馬車というのはヤクーにはわからないが、人を乗せて動くものらしい。
「なあ、俺も行っていいか? 折角だから見送りたい」
「ヤクーは飛べないだろう」
「だから乗っけてくれ。俺も」
すごーく嫌そうな顔をされた。そうだろうな、とわかるけれど、最後まで付き合いたい。
『ヤクーも付いてきてくれるの?』
役人と二人なのが不安なのか、林果は少し嬉しそうだ。おかげでヤクーも一緒に行けることになった。
翌日荷物をまとめて林果と二人、役人を待つ。彼はいつも人間に化けているが、れっきとした竜族だ。アリゲイ種のヤクーとは違う種族なのだ。
その姿は細長い枝のようだ。よくしなる枝は風に吹かれて優美に揺れる。ただ物凄く大きな枝、いや、龍だ。
「さあ、行くよ」
人の形の時はヤクーよりも小さいが、この龍形の時はヤクーなどそこらの石のようなものだ。ヤクーは元の龍に戻った役人に近づくが、林果はためらっている。何しろ大きすぎるのだ。
「林果? ……あー、大きいけど大丈夫だから。ほら」
ヤクーの差し出した手にそろりそろりと近寄っていく林果。竜同士ならば、姿が大きかろうと小さかろうと気にしない。けれど人にとっては大変な問題なのだろう。
「驚かせてごめんねえ」
びくびくしながらもヤクーと林果が背に乗ると、役人はぐんと飛び上がった。上空へ一気に浮かび上がると、穏やかな風に体が撫でられる。林果を後ろから抱えたヤクーはその体から緊張が少し緩んできたのがわかった。
空から見る景色は綺麗だ。普段地面ばかりを駆け回っているから新鮮で楽しい。時々他の竜がのんびり空を泳いでいて、ヤクーたちの姿を見て不思議そうに首を傾げている。
日が落ちてくると地面に降りて休み、朝日が昇ればまた空を行く。それを数度繰り返し景色を十分に堪能した頃、役人は陸目がけてその身を躍らせた。下にある街に行きたいのだろう、待ちがどんどん近づいてくる。地面が迫ると役人が人に変化する。ヤクーと林果は彼の体から投げ出されるが、役人が下できちんと受け止めてくれた。
「おい、先に言ってくれよ! びっくりしただろ!」
「すまない。あの姿のままだと大きすぎて地面に降りられないんだ」
『こ、怖かったです!』
役人に抱き留められた林果が半泣きの状態で地面に足をつける。
「悪かったよ。さあ、とりあえず中に入ろう」
足が震える林果をヤクーも支えながら街の中に入った。
街の中には人が居た。人族の外交員が働く中心地があるのがこの街のようだ。加えて表裏世界の管理された扉がある。
『うわあ~』
よろよろで街に入った林果だったが、都会の賑やかさに呆けている。それに人族の姿に安堵しているのがわかる。
「彼らは外交員とその家族、あとこっちに落ちて居着いちゃった人たちだね」
『みんな元気そう……』
「彼らに不自由がないように、配慮はしてるよ。どうしても足りないところはあるだろうけどね」
役人がそう言いながら先を案内する。役所の建物に入ると何かを告げて、奥へ通される。廊下の奥には中庭へ続く扉があった。かなり古い樹がある。今は花の咲く時期ではないからか、葉っぱだけだ。
「林果」
役人が林果に手を差し出す。
「あの樹の後ろに回ると元の世界に戻れますよ。そちらでは馬車を用意させています」
「はい」
林果は嬉しそうに一歩踏み出す。次いでヤクーも一緒に歩き出そうとしたが、それは出来なかった。
「ヤクー、君は駄目だよ。ここまでだ」
『え?』
「え?」
「向こうに行く許可は出ていない。君は見送るだけだ」
しんと音が消える。役人が溜息を吐く音が響く。
確かに見送りたい、と言った。ヤクーは付いてきただけだ。しかも無理矢理に。
「林果」
ヤクーが進み出ると、役人は少し後ろに下がった。お別れの挨拶はさせてもらえるようだ。
「林果には怖い体験が多かったと思う。でも俺は楽しかった。忘れないよ」
手を出せば、林果は迷う素振りを見せる。ヤクーの手が大きすぎるのだろう。
『……あたしも忘れられないよ。見つけてくれたのが、ヤクーでよかった。ありがとう』
林果の小さな二つの手で包み込まれるヤクーの手。そのあたたかさにヤクーは嬉しくなる。
「手紙なら渡せるよ」
役人がそっと呟けば二人はハッと喜色を浮かべる。
「中身は検閲が入るけど、ちゃんと互いの翻訳もしてあげる」
「無事に家に帰り着いたら教えてね! 手紙を書くよ」
『あたし、文字書けないけど、覚えるね。頑張って勉強する!』
「あ、じゃあ、ああ……これを帰り着いたら手紙に入れて。俺も文字そんなに実は得意じゃないんだ。だから、さ」
知り合いに何かの証を渡すこともある。本当は駄目なのだろうが、役人は今回だけ目をつむってくれた。
「最初だけだよー」
『役人さん、ありがとう!』
「じゃあ、戻ろうか」
二人の間に入り、役人が林果の手を取る。
「大丈夫。彼女は必ず無事に送り届ける。ヤクーも後で送っていくから、待っててくれ」
そう言って、役人が林果を導き、樹の後ろに回る。古い樹だが、葉は生い茂っている。それなのに二人が樹の後ろに回ると姿が見えなくなった。頭ぐらいは見えてもいいはずなのに、スッと消えてしまった。これが落ちる、ということなのだ。
それからまもなく役人は戻ってきた。当然一人で。
ヤクーは故郷に戻り、また魚を捕る生活に戻った。
「おい、ヤクー」
「あ! テディー! 待ってたよー!」
役人ことティデイタデックがやってきた。待ちくたびれヤクーは彼に飛びつき、そして蹴られた。倒されてもヤクーは笑っていた。
「ほら」
彼の手にはよれよれになった封筒がある。大事に受け取って封を開ける。
「……よかったぁ」
封の中には別れ際にヤクーが渡した自身の鱗が入っていた。世界を渡るのはよくないが、返ってくる前提ならばとテディが許可したのだ。
「今度はお前が林果に手紙を書く番だぞ。三日後にまた来るからな」
晴れやかな顔でヤクーはわかった、と返事をする。
林果が笑顔になる手紙を書こうと、と考えながら。
202504
数十年来の友に
落ちる予定は当然なかったし、まさかその先で友情を育むことになるとも思わなかった。
シエルからテンニーンに落ちた。此処は伝説の竜の世界。僕は目の前でポカーンと口を開けている小さな竜に対峙することになった。
事の起こりは大雨が過ぎた後の日に、様子を見に川へ行ったことからだ。水量が増えていたが、畑にまでは流れていないようでホッとしていた。川には大雨のせいで色々なところから物が流れてきていた。そこで布地を見つけて取ろうと近寄り、足を滑らせた。水を飲んで、呻いた時には川に流され、何処かへポイッと吐き出された。
そして目覚めたら、小さな竜が目の前にいた。
「え? ええ!」
慌てる僕に小さな竜も驚き誰かを呼んだ。すると今度は大きな竜がやってきて、僕に呻いた。何か話しかけられているのはわかったが、まったく意思疎通が出来ない。
『……儂の言葉はわかるか?』
「お、おおお! わ、わかる!」
今度はきちんと理解できた。ある程度の年を経ていないと言葉がわからないのかもしれない。大きな竜がいうには、きちんとシエルへ僕を返してくれるらしい。ただ役人が来て、手続きを終えるまで少しかかる。なので、窮屈かもしれないが、この親子の竜(母と息子だった)が世話をしてくれるという。有難い話だし、丁寧に教えてくれたことで親子への信頼は鰻上りだ。
さて、待たされる間、何をしていたかというと、僕は少年竜とひたすら遊んでいた。落ちたこの場所は山岳地帯にある洞窟で、彼らがねぐらにしている。体力的に人は竜に及ばないながら、僕に興味津々の子竜にあっちこっちと引っ張られ、終いには互いの名前を覚えるくらいまで仲良くなった。
人の言葉を理解しない子竜は別れの時には泣きじゃくり、母竜に宥められていた。
『もしこの子が大きくなって、シエルへ赴くことがあれば、頼みます』
シエルへ竜が来るとすれば、僕のように落ちるか、或いは役人になるかだ。きっといつかの約束で子を慰められているのだ。僕は気軽に了解し、また、と別れた。
それから数十年、外交官となった、かつての小さな竜と再会することになる。
202506
越してきた男
中央の偉い役人さんに連れてこられた男の人は、訳ありらしい。毎日家の中にこもってるし、その家の中からはギャピー、とかグギャーとか聞こえてくる。一体何をやっているんだろう。
朝、井戸の水で顔を洗っていると、眠そうな顔をした男がやってきた。件の訳ありだ。目を擦りながら井戸の水で顔を洗う。
「おはようございます」
挨拶しないのも変か、と声を掛けると男は驚いたように私を見た。もしかして気づいていなかったのか。
男は何か言おうと口を開いたようだが、結局曖昧に笑って去って行った。首を傾げるしかない。
「ねえ、母さん。あの越してきた人全然喋んないよ? 挨拶したのに」
「あー、あの人ねえ、何か遠いところから来たらしくて、言葉がまだうまくないんだって。だからだろうね。役人が来て、言葉は練習してるらしいから、そのうち話してくれるかもよ」
家に帰って聞いてみたら少しだけ男のことがわかった。もしかして家から出てこないのも言葉が堪能でないからなのか。だったら色々生活が大変じゃないのかな。
そう考えだしたら手を貸してやるべきが先住者の責務じゃないかと思ってきた。
「ねえ、母さん。私お手伝いに行っても来てもいいかな」
母は呆れたような顔をした。けれど勝手にすれば、と手を振った。
そうと決まれば動くしかない。私は帰ったばかりの家を飛び出した。
「おはようございます!」
パーン、と玄関の布を捲ると、訳あり男は腕に赤ん坊を抱えていた。何故かグギャ、と声がする。そして真っ青になる男の顔。
『他人の家だぞ、おい』
「何かお手伝いしましょうか? こう見えて料理は得意ですよ?」
『待て待て待て!』
慌てる男の腕から赤ん坊が飛び出す。私の方に飛び跳ねた子をぎゅっと抱きしめる。おや、予想外に硬い感触だ。腕の中に視線を移す。
「え、ええー!」
『あー……』
腕の中には鱗に覆われ、尻尾を元気に振る子竜。あちゃー、と頭を抱える訳あり男。
「嘘でしょ!」
そして叫ぶ私。
他人の家に勝手に入るものではない、と私は身をもって学んだ。
202508
竜燈の在る街
よお、旦那。ランランカの街は初めてか?
古臭い? 変な匂い?
おいおい、俺の故郷なんだ、悪く言うなよ?
ランランカは職人が多いんだ。古い建物をずっと手を入れて暮らしてる人も多いのさ。俺の知り合いにも職人がいるぜ。お土産探してるなら贔屓にしてくれよ。
冒険者なら鍛冶か革工房もいいが、あんたは観光だったな。何処に行きたいんだ?
あ? ミドラ区? ああ、竜燈?
……あー、じゃあ、うちの実家に泊まるか?
ああ、宿屋やってんだよ。風竜様がいらっしゃる。会ってみるかい?
20260523 11話更新
街/日常/ほのぼの/ミニドラゴン/冒険者
01 風の灯り亭
汗が滲む季節は風が気持ちいい。
人通りの多い道を一つ中に入れば、風の灯り亭はある。屋根のあたりから人の姿を眺めていれば、見覚えのある男が歩いてくる。この宿屋のドラ息子、ヒューイだ。
「ただいま。お客さん連れてきたよ」
「こんにちは。お邪魔します」
宿の外には受付で騒がしくしている声がする。このヒューイは宿屋の者の癖に外に出てしまった子だ。普段は見当たらず、月に数度訪れてはやらかしている。今回は珍しく客を連れてきたらしい。
感心だ、などと思っているとまた外に出てきた。
宿から出て何処に行くのかと思っていると、段々近づいてくる。そして斜め下にやってきた。睨めつけてやれば、へらっと笑うヒューイだ。
「あちらが風竜様です。まだ明るいですから、灯りはついていませんが」
言いながら客に示してくる。感動したような表情にやりにくさを感じるが、どうやら自分を目当ての客だと理解した。拝む仕草の客に少しだけ風を寄せてやる。ふわっと浮かぶ前髪に客の男は目を丸くする。キョトキョトと燈に視線をやったり外したり。
「暗くなったらまた見てみてくださいね」
「うん。そうさせてもらうよ。なんとも優雅な姿だね」
満足そうな客を伴って去って行く。その背中に風を吹かせてやれば、手をひらひらと振るドラ息子はニコニコと笑顔で振り返った。
2023/11
02 ミシカカガラス工房
シルルが扉の前で百面相している。
工房の中は依頼の期限が近くて皆総出で作業をしている。忙しくて余裕がないのと、シルルが右往左往しているせいで誰も気づかない。
ミシカカガラス工房はランランカのミドラ区にある。初代ミシカカが開いた工房は現在五代目に引き継がれている。ただ先代の四代目は先日急な病で倒れ、今代は継いだばかり。今は母親と姉弟、従兄弟も手伝って何とかやっている。
さて、この工房にも竜燈がある。シンプルな竜燈にはキリリとした炎竜がいつも居るのだが、今日に限ってはどうにも困ったようにもみえる。
「ええ~、どうしよう。忙しそう。お菓子差し入れしてる場合じゃないけど、折角うまく出来たのにー……」
しゅんとするシルルは何度も扉の前を行ったり来たりする。手元と扉を交互に見て、困って空を仰ぐ。そして炎竜に嘆いた。
「えーん、炎竜様ぁ~! イフリーの役にちっとも立てないよー」
ゴッ、と炎竜の口から炎が吹き出る。ゴッ、ゴッ、と力づけるように数回。
「炎竜様、何?」
「わっ!」
工房の扉が突然開かれた。
「シルル? どうした?」
「イフリー! ……あああの、あのね、忙しいところ悪いんだけど、これうまく出来たから皆で食べてぇ~」
お菓子を勢いよくイフリーの胸に押しつけると、シルルはダッシュで走り去る。
ゴッ、と空に炎を吐く。
「……炎竜様、次からシルル来たら、すぐ教えてくれる?」
顔を真っ赤にした今代に、炎竜は翼を揺らした。
2023/11
03 ミドラ区会公園
子どもたちの大きな声が響いている。
今日はミドラ区の清掃活動の日だ。区内を回って一番ゴミをたくさん見つけた人が勝ち、というチーム戦だ。その際にゴミじゃないものをゴミとしたりしたら失格になる。
清掃に参加できない小さな子は公園で一緒になって遊んでいる。子どもたちの指導は風の灯り亭の看板娘のサンだ。
「ちょっとそこ! 砂場で格闘しない! 山が潰れるでしょ」
当人もまだ十二歳だというのに、子どもたちのあちこちに指導をする。
「ユン、あっちの子たちと遊んだげて。砂場から離してね」
元気なちびっ子たちを見て、弟のユンに指令をだしている。
「キックはお花摘んでる子たちに花冠とか教えてあげてよ」
下の弟のキックはややおとなしめな子だ。静かな遊びが好きな子たちとは気が合うだろう。
「はいはい。……おまえらー、あっちで遊ぶぞー」
「草笛とかも楽しいかなあ。ねえ、どっちがいい?」
宿屋の孫たちは色んな人と関わるからか、なかなか子どもたちの相手もうまい。サンも小さい子たちの安全に気をつけながら相手をしている。
やがて二時間も経つと子どもたちは日陰に集まってきた。清掃は午前の早い時間だったが、もう少し終わるまで時間がある。日が昇ってきて気温が上がったのだ。
「ちょっと暑くなってきたね」
サンが額の汗を拭うと、霧がのようなものが公園に降っている。服が濡れない程度、体の暑さが冷えるくらい。
公園の入り口に目をやったサンは竜燈に向かって手を振った。
「水竜様、ありがとー! 涼しくなった!」
皆も一緒にありがとう、と叫んだ。
ワイヤーで組まれた竜燈の上にいる水竜はサンたちに翼をパタパタと広げてみせた。少しだけ顔も嬉しそうにみえる。
子どもの声で賑やかな公園を水竜は楽しんでいる。
2023/09
04 夜のかがやき
夜の街は暗い。所々に魔煌石が埋められていて、足元は少し明るい。だが人の顔がはっきりするほどではない。その中でミドラ区にある三つの魔石だけは夜中明かりを灯している。魔石ではあるが魔煌石ではない。
商人仲間たちから話には聞いていた。
ランランカのミドラ区にだけある竜燈はミニドラゴンたちが灯りの番をしている、と。いつか見たいと思いながらなかなか叶わなかった。それが漸く叶うのだ。感動もする。
「よー、旦那。どうだい」
宿屋の外ベンチで上を見上げていた。
案内してくれた冒険者がこの宿の親族というのも奇妙な縁だ。
「噂には聞いていましたが、美しいですね」
「ありがとうございます。他にもガラス工房と公園にもあるからグルッと一周します?」
冒険者の彼にゆるゆると首を振る。
「いえ、また明日夜の散歩をしてみます。今日はこちらの竜燈を楽しみます」
夜の闇に明るく灯る。風竜様の灯りはほんのり黄色のような緑色のような色をしている。あたたかい色だ。じんわり心もあったまる。
2023/11
05 家族と継承
父が急死した。
病気だった。気づいたときにはもう手遅れで、どうしようもなかった。だからといって家を、永く続けてきた家業を途絶えさせるわけにはいかなかった。だからミシカカガラス工房の店主になった。まだ修行中の身であったのに。
「事務仕事は私がしてやれるけど、商品はねぇ……。頑張って、しか言えないわ」
母は父の時と同様に事務作業をしてくれている。
「そうね。私も家は出てるけど、近くに住んでるんだから手伝うわよ。納品とか店番とか簡単になことになっちゃうけど」
姉は隣の区に住む男性と結婚している。近くとは言うが、歩くと一時間は掛かる。感謝している。
「俺もまだ半人前だし、兄貴と合わせて一人前ってことで暫くはいいんじゃない。一緒に頑張ろうぜ」
弟も修行を始めていたが、自分より後に始めたからどうしても技術的にまだまだだ。それでも一人じゃないのは助かる。
「先代には敵わないけど、一応一人前の職人がここに一人居る。ちゃんと継承していこうぜ」
従兄弟は自分より先に一人前となっていて、自分の足りない技術を授けてくれる。
家族で営む小さな工房だからこそ、皆で一丸となって努力するしかないのだ。
ゴッゴッゴッ!
工房の外から炎竜様のお呼び出しが聞こえる。炎竜様は工房の守り神だ。この工房が火事もなく、無事に続いているのは炎竜様のおかげである。
「炎竜様?」
外に出るとシルルが扉の前で右往左往していた。忙しいのをわかっていて、気を遣ってくれているのだ。でもそこまで慌てなくていいのだけれど。
「イフリー!」
すぐに寄ってきて紙袋を押しつけられる。あまい香りがシルルから漂ってくる。
「体に気をつけてね。皆と一緒に食べて! いつもこんなことしか出来ないけど……」
疲れた体にふわっと香るお菓子のあまさ。心配そうに見上げてくるシルルに癒やされる。じゃあ、と言って去って行く彼女を見つめてしまう。
ゴゴッ!
竜燈から睥睨してくる炎竜様にたじろぐ。
「……わかってます、わかってます。シルルにちゃんと伝える。伝えるけどまだ心の準備が……! あ、ちょっと疑ってる? 疑ってるね! ちゃんと言うよ。でもさ、シルルを前にするとこう語彙が消えるんだよ。わかるでしょ、炎竜様。小動物みたいな目で見られると言葉なんて出てこないんだよ。あ、ため息吐くのやめてくれません」
炎竜様とも長い付き合いだ。呆れられているのがわかる。
ミシカカガラス工房はミドラ区に永く続くお店だ。今は代替わりで慌ただしいが、じきにそれも落ち着くだろう。工房の人間は昔から皆勤勉で誠実で、少しだけ言葉足らずだけれど。
2023/12
06 午睡するベンチ
昼下がりの公園はあたたかい。
子どもたちが遊ぶ声を聞きながら、ぼうっと景色を眺めている。段々と瞼が重くなってきたような気もする。
この公園はミドラ区の唯一の公園だ。とはいってもミドラ区自体がそんなに広くはない。一番大きな建物は宿屋である風の灯り亭で、それなりに賑わっている。家族経営の宿ながらミドラ区でも永く続いている。時々他の職に就く子もいるが、皆宿にはよく帰っている。
それにミドラ区には竜燈がある。ミニドラゴンの擁するランプを竜燈と呼ぶ。それは魔煌石ではなくただの魔石なのだが、ミニドラゴンたちの力で魔煌石よりも明るく輝く。
ミニドラゴンとはいうが、ドラゴンの子どもではない。ミニドラゴンという種族だ。ミドラ区と言う名前はそもそもミニドラゴンがいる区という意味だ。昔、はぐれたミニドラゴンを保護した折からずっとこの区に居ついてくれている。詳しい経緯は一応伝え聞いているが、真実かは不明だ。
宿屋とガラス工房の竜燈は彼らが管理している。この公園に関しては区会長である私がしている。水竜様を管理するというのはおこがましいが、公園の世話をする責任者として同士のように思っている。共にミドラ区を守っていくお仲間だ。
水竜様には区会長を引き継いだときに挨拶をしたが、昔から知っているので一瞥をくれただけだった。そんなに激しい方ではないが、子どもが好きなので仲良くやっていけるだろうと思っていた。
……などと色々考えていたら、いつの間にか眠っていたらしい。
公園に少しずつ夕陽の色が入り込んでいる。手に何かが当たっている。視線をやると水竜様が私の手を叩いていた。小さな手でペチペチと。
「水竜様? 竜燈から降りるなんて珍しいですね」
クアァと鳴いて、手に体を擦り付けてくる。
「眠ってたのを気にしてるんですか? 老骨ですがそんな簡単に死にゃしませんよ。病気してたのは治ったって言ったでしょう?」
普段は竜燈の上に大体寝そべったり、遠くを見ていたり、気が向けば住人に手助けをしてくれたりしている。
「私はもう子どもじゃないですよ」
水竜様の頬に手を寄せて、軽く撫でる。
クアッ、と小さく叫ばれた。
「水竜様にとっては皆子どもですか? そりゃ小さい頃から知られてますからね。隠し事もできないなあ」
気がすんだのか、水竜様は翼をゆるゆると動かして竜燈の上へ戻る。
この区で生まれ育ったのだ。誰もがミニドラゴンたちの子どもであり、庇護対象。そこに自分が含まれていると改めて思うと、こそばゆい気持ちになる。
ベンチから立ち上がると影が長く伸びていく。私はゆっくり家路に着いた。
2023/12
07 冒険者の成長
冒険者としてまだまだ駆け出しではあるが、少しずつでも成長を感じている。街中のおつかいから、素材の収集。それに護衛の仕事。時々失敗もあるけれど、着実に成長している。
「アスミーは頑張ってるよ」
今日は一緒にヒューイもいる。私より少しだけ早く冒険者になった先輩だ。知り合いに紹介してくれたり、難しい仕事を一緒にしてくれたり、いい人だ。そしてすごく羨ましい人だ。
今回の仕事は街道の警備だ。街道に最近大きな野生生物がうろついているらしく、街道沿いから追い立てる仕事だ。難しくはないが、油断は出来ない。大きな動物は力だけでも強い。
「そういうヒューイはいいよね」
「何が? 剣は使えるけど、弓は使えないぞ? ……あ、まずい!」
牙の大きな猪が街道の敷石を掘り返そうとしている。慌ててヒューイが走って行く。私も弓を放って威嚇する。猪は弓に驚いたようだが、そばにやってきたヒューイに怒りを見せる。突進しようと後ろ足で土を蹴るとヒューイに向かっていく。危ないと叫ぶところだが、彼はその突進を避ける。いや、避けたわけではなく彼の周りに潜む風が猪の軌道をずらしたのだ。
「お、ギリギリ。……よ、い、しょおおおぉ!」
ヒューイは剣を猪の鼻面に当て、街道から追い立てる。
私も弓で加勢する。これで暫くは寄ってこないだろう。
「これで依頼は完了だな」
「そうだね」
私はヒューイの方に歩いて行く。彼の周囲に風はない。だけれども何度も一緒に仕事をするうちに気がついた。彼に致命傷になるような攻撃は当たらない。少なくとも物理攻撃は当たりづらい。
風の灯り亭が彼の実家なのは有名だ。そしてその一族が風竜様の加護を得ていることも。本人はまったく理解していないが、この街に住むかの一族は皆守られている。
その加護が羨ましい。
でもそれ以上に風竜様を心から敬っているヒューイが羨ましい。
私にはそんな存在はいない。
「帰りに飯でも食っていこうぜ」
「うん。いいよ」
ただ妬みはない。
私にとっていい人で、羨ましいが、それ以上に尊敬できる人なのだ。
2024/03
08 夜警
夜になるとどうしても暗くなる。
それはどうしようもない世界の真理だ。
魔煌石はあるけれど、それで夜の闇がすべて照らされる訳ではない。暗がりは恐怖を呼ぶ。見えない何かが躍り出てくるのでは、と不安に思うこともある。だがここはミドラ区である。
闇の中を朱い光が飛ぶ。それはこの地区では割とよく見る現象だ。
夜の暗さは人を誘惑に誘う。
「お~、ごっそさーん。また来るね~」
店の前から去って行くお客。周囲の人も各々に仲間と話をしたり、気にせず一人で様子を伺っていたり、だ。ただその中には鋭い視線を周囲に向けている者も居る。
酔ってよろよろと歩いて行く人の後ろを付かず離れずついて行く男。前を行く者の足がもつれて、よろける。すかさず背後から着いてきていた男が支える。
「あぶねえぞ、あんた」
心配するように声を掛けると、よろけた者は苦笑を浮かべる。
「いやあ、飲み過ぎちゃったみたいだ。あんがとよ」
そう言って何とか立つと、今度は気をつけながら歩こうとする。
「気をつけろよ」
「ああ」
今度はついて行かず、見送った男は長く息を吐くと笑った。
「本当に気をつけないとダメだぜ」
その手には財布がある。それは男のものではない。先ほどのよろけた者からそっと抜き取った物だ。中身を検めようとニヤニヤした顔を止めようとはしない。だが――
「ゥグッ!」
――男は急に倒れた。腰に勢いよく激突した何かによって。
「いたぞー!」
そして街の警備隊がやってきて、男を捕まえる。腰を押さえたまま、男は何が何だかわからない顔だ。喜びの表情はすでに霧散して、ただただ呆然としている。
「お前、詰め所まで来てもらうぞ。誰か周囲の捜索して来い。財布か何か盗まれた人がいるはずだ」
「え!」
見つかってはいないはずなのに、見つかっている。そして気づかれてはいないはずなのに断定されている。
「お前さー、この街で犯罪はダメだよ。特にミドラ区でとか。炎竜様が怒ってんじゃん」
上を指さす警備隊。上空には朱色の光がぐるぐると旋回していた。
「まあ、初犯ならそんなに重くないけど。仕事がないなら紹介してやるよ。でも、とりあえず詰め所な」
旋回する朱色の物体はこの地区のミニドラゴンらしいと男はやっと理解した。この街に来て、名物と言うから見てはいたが、街灯の上から動かないのだと思っていた。
激突された腰は無事だろうか。
男はとても心配になった。
2024/04
09 爆発しろ
いつも逃げてしまう。もっとちゃんと話をして、好きだって伝えたいのに。
お菓子も差し入れしたし、手伝いも申し出た。おばさんたちにも笑顔で挨拶している。これ以上、何をすれば好意的に思ってもらえるだろう。
私の特技はイフリーのように技術で助けられるようなものはない。そもそもミシカかガラス工房は家族経営なので、外からは手伝うことが難しい。だからこそ身内になりたいのだけれども、そうすると心が爆発しちゃいそう。
「はあ……」
お花をあげてもいいけれど、火を使う場所に花は可哀想だ。お菓子もだんだんネタがなくなってくる。けれどご飯を作っていくのは、おばさんたちもいるのに失礼だ。
「どうしようかな」
通りかかった公園で、腕組みをして、うなる。
見上げればちょうど水竜様と目が合った。不思議そうに首を傾げ、羽根を少しはばたかせる。
「ね、ね、水竜様」
少し声を落として呼びかける。聞く態勢を整えてくれた水竜様はクアッ、と応じてくれる。
「炎竜様とイフリーのお話とかする? もうこれ以上ネタがないの。どうやって話かけたらいいかなあ」
けれど問いかけに水竜様は急にやる気をなくしたように、力を抜いた。
「え、どういうこと?」
焦って大きな声が出てしまった。水竜様はしかしまだ、ダラッとしている。そしてクアクア何か言いたげに鳴いた。普段そんなに鳴かないのに、なんで今日はそんなに鳴いたの。
「え、え~、全然わかんないんだけどぉ~」
「……シルル」
「わあ!」
慌てていると、背後からイフリーの声がした。振り返れば、やはりイフリーだ。何故か顔を手で覆っている。
「イ、イフリー!」
心なしか顔が赤いような気がする。もしかして熱があるんだろうか。
「もしかして体調悪いの? 顔赤いけど大丈夫?」
近寄って手を顔の前で振ると、その手をぎゅっと握られた。
「……あのね、何もなくてもうちには来ていいから。いつもいつでもシルルは歓迎するから」
「え? 体調は?」
「問題ない」
握られた手はイフリーの口元へ持って行かれる。触れる唇のやわらかさ。熟れた果実のような色をして、彼はささやく。
「俺もシルルが好きだから」
瞬間的に沸騰する熱を感じる。
その日、家まで送ってくれたイフリーと何を話したか記憶がない。
2024/08
10 キックの疑問
「おじいちゃん、うちっていつからあるの?」
風の灯り亭はミドラ区では古い建物だ。キックはまだ五歳だが、宿の仕事も手伝っている。お客さんにもえらいね、と褒められることが多い。そしてお年寄りのお客さんには昔からここに泊まっているのよ、と言われることがある。昔からっていつからだろう。十年前か、二十年前か、それとももっと前なのか、キックは知らなかった。
キックの祖父であるシュリーは風の灯り亭の店主をしている。まだ現役を退くつもりはない。
「この宿か? うーん、いつから……俺が聞いた話だと三百年は経ってたはずだな」
「そんなに! 風竜様も最初から一緒だったの?」
すごいすごいと手をたたくキックにシュリーは唸る。
「それがなあ、最初はいなかったらしい」
「えー?!」
「んー、ちょっと後で落ち着いてお話しようか」
今はまだ昼前の掃除の途中である。遅く起きたお客様もいるので、忙しいのだ。キックにわかったー、と言われながらシュリーは昔聞いた話を思い出していた。
シュリーが両親から聞いた風竜様たちのお話は、ランランカの街がもっと小さな街だったときに遡る。大嵐の時に見廻りに出たご先祖様が親からはぐれたミニドラゴンを見つけたのだ。
風竜様だけでなく、水竜様と炎竜様もいて、一緒に草むらで泣いていたところを保護して連れ帰ったのが始まりだったという。風の灯り亭とその当時の村長とガラス工房のそれぞれで育てることになり、今に至る。最初は人になれなかったが、そのうちに宿の名物になり、外から来た者に物珍しがられ話題になった。
シュリーがキックにそんな面白い話でもなかっただろう、と残念そうに伝える。だがキックはにっこり笑った。
「ううん。だって風竜様が居てくれてうれしいもん!」
キックが本当に嬉しそうにしている。
「風竜様のこと、大好きだもん」
「……そうだな。じいちゃんも大好きだよ」
孫の言葉にシュリーは彼の頭をやさしく撫でた。
20251122
11 鱗の感触
工房作業はやりたくてもできない。いや、やろうと思えば出来る。でもそれを選ばなかったのはアーカ自身だ。
ミシカカガラス工房は初代ミシカカが開いた由緒ある工房だ。先代の父が急死したことで弟を当代に据え、家族一丸となってなんとか頑張ってきた。アーカも家を出たものの手伝いに家と実家を行き来していた。だがそれも必要がなくなりそうだった。
いずれ必要とされなくなるだろう、そう思うとさみしくなる。アーカの視線の先にはイフリーとシルルの初々しい姿がある。先だって漸く想いを通じ合うことが出来た二人だ。アーカにも旦那と甘酸っぱい時期を過ごした覚えがある。今だってまだ新婚といってもいい。子はまだだが、二人で未来のもしもを話すのが楽しい。年齢のこともあるので早く子どもは欲しいが、授かり物は神のみぞ知るものだ。
弟の邪魔はすまい、と思いながらも実家にはやはり寄りたくなる。おいしいお菓子を手に入れたのでお裾分けがてらに様子見に行く。
母に二人のことをそっと伺うと、順調だと返ってくる。二人でにんまり笑う。
軽く挨拶して、そそくさと帰ろう。ついでに、といっては悪いが炎竜様にも手を振る。アーカを一瞥した炎竜様はいつもと違い、珍しく傍に駆け寄ってきた。
「なぁに~? いつもは頷いて終わりじゃない。……また来るわ。実家だもの、あの子たちをよろしくね」
つるつるとした鱗を撫でると気持ちよさそうに目を細める。偉大な炎竜様だけど、アーカにとっては家族の一員なのだ。
20260523
12
暫し待たれよ
掌編
ほんとサクッと読める話になります。
掌編はお題募集しておりますので、よければこちらからテーマをくださいませ。この一文入れたものとか、単語とか、世界観とか。書けたら書きたいと思います。
だいたい140字?
・あなたがいなくても
・友達は選ぶものだ
・わんわんフレンド
・ピアニストの夢
・銀杏の舞
・雨のひととき
「あなたがいなくても」
月が綺麗ですね。
突然帰り道、後輩が呟いた。確かに今夜は満月だ。雲もなく皓皓と輝いている。だがその真意はなんだ一体。
後輩はつい口に出ちゃいました、と照れた顔をする。なんだ告白かと思ったわ、と後輩の背をバシバシ叩いた。
手を振り後輩と別れ、帰路に着く。
……本当に、告白かと思った。
絶対今、耳まで赤い。
2023/09
「わんわんフレンド」
犬だ。
白い犬がいる。
朝の通勤時間、いつもは見ない新顔の犬と遭った。飼い主さんは丁寧な挨拶のお母さん。キャンキャンと吠える犬にかわいいなあと思っていた。
数ヶ月後、お母さんは相変わらず丁寧で、白い犬は私の足に絡みついている。
もう無闇に吠えない。ふんふんと匂いを嗅ぐ姿が、もう友達だから、と言われているようだ。
2023/09
「銀杏の舞」
最寄り駅の銀杏が黄葉している。
はらはらと落ちてくる様にうっとりする。秋はよい。木々が色づいて、もうすぐ冬が来るのだ、と実感する。
帰宅途中の少女も銀杏を見上げている。呆気として、次いでにっこり笑みをこぼす。銀杏の葉のシャワーの中でくるっと一回転すると、スキップして去って行く。
少女に倣って、私もスキップをした。
2023/11
読書録はブクログとかにあります。
「友達は選ぶものだ」
友に愚痴っている。
誘っておいて待ち合わせに来ない戦士。人気のカフェで好みじゃないと食べず嫌いする魔法使い。割引を見ると必要ないものまで買おうとする賢者。
「とりあえず殴っとけばいいかな?」
「あんた勇者だろ。殴ったら瀕死じゃん?あたしは助かるけどね」
笑ってくれる貴重な友、魔王。
2023/09
「ピアニストの夢」
とてもいい笑顔で男は言う。
「昔この家にはピアニストを夢見る女の子がいたんだ。拙い演奏だったけど、練習して段々上手になってた。でもある日、少女は事故で亡くなってしまった。彼女の親は思い出のありすぎる家がつらくなって、引っ越した。だから俺が代わりに夢を叶えようと思ったんだ」
「いや、お前幽霊だろが!」
ピアノの音が響く空き家に訪れた霊媒師は、キラキラした笑顔の幽霊を拳で殴った。
2023/10
「雨のひととき」
梅雨は憂鬱だ。激しい雨で外には出れず、ひどい湿気で髪は跳ねる。
「はあ……」
息を吐きつつ、私はテーブルの上にティーポットを置く。その隣に昨日買ったバターサンドを並べる。ラムをたっぷり含んだ大きなレーズンが入っている。
カップにティーを注ぐと私はもう一度息を吐く。
雨は好きじゃないし、湿気もひどい。
だけど誰もいない家の中で、ゆっくりした時間を楽しめる。この時間はとても好き。
2024/06